勝手気ままに漫画を語ろう!忘れちゃってた古〜いのやら、昨日たまたま観たのやら。

ふと思い出して語りたくなったあの漫画。細かい事忘れてても気にしないで書いちゃってます。のんびり書けるときだけなので、更新は疎らです。気長にお付き合い下さいね。

スペースアドベンチャー コブラ……劇場版「コブラ」。TVシリーズに比べて評価が低いって話だけど、これはそもそも比べちゃいけないと思うよ。私は大好き。脳内で再上映できそうなほど、入れ込んでしまった映画なのよ。

●おじさんである。(少なくとも青年でも、ましてや少年でもない…と言う意味で)

●体にパツパツのタイツ姿。しかも真っ赤。

●だんご鼻。

これらの要素を持つアニメや漫画は、私のテリトリー外。
主人公の年齢は10代後半で、鼻は小さめ。服のシワが美しくカッコいい絵が大好きだからだ。

なのに私は、
劇場版「コブラ」に、ドはまりした。

時効だろうから言ってしまおう。

もう一度観たくて、いても立ってもいられなくなり
オールナイトに出掛けた。

当時の仕事の夜勤をズル休みして!

朝まで居続けて、「もう一度」どころか、疲れるまで観続けたのだ。
シネコンの今では出来ない贅沢!

おかげで30年以上経った今でも記憶は鮮明。
多少の抜けはあるけど、脳内でセリフごと丸々リプレイできるほどだ。

コブラには、もちろん原作の漫画。
TVシリーズの「スペースコブラ」。
劇場版の「スペースアドベンチャー コブラ」がある。
シリーズは、時間枠的にあまり観られなかったけど
原作に近い内容だったのか…な?
劇場版は原作を下地にしてるけど、大幅に設定変更したオリジナル作品だ。
その辺りの違和感を押さえられないのか、声優のキャスティングが不評なのか、
コブラのファンの間では、
「劇場版のコブラコブラじゃない」
と、言われているらしい。
コブラの声が「松崎しげる」なのを別にしてもだ。

こごでちょっと思い当たるんだけど、
ルパン三世の最初からのファンの中には、
カリオストロのルパンはルパンじゃない!…って
言う方がいるそうな?
それが具体的にどういう違いなのか、私にはな〜んとなくしかわからないのでさておくとして、
だからって、そんな方々だって多分、

カリオストロの城」が映画としてつまらない!
なんてコトは言わないと思う。

「スペースアドベンチャー コブラ」だって、そういうコトなんじゃないか。

この映画は面白いよ。
でも、
シリーズと比較する人にはそうではないかも。

根本的に「違う」のよ。比べる事が間違い。

映画は、
ロバだか馬だか(きっと異星の動物)に乗った人物、賞金首の犯罪者「宣教師ダコバ」が高々と説教を
唱えながら荒野を歩く姿から始まる。
「神は神としてのたまわれり。
この世に神は無いっ!」と、振り上げた杖の上空を
巨大な船が飛び去ってゆく。
そこへ、ザッ!
第一ヒロイン、賞金稼ぎのジェーン、登場だ!

難なく首を獲り護送するジェーン。そのエアカーを、酒場で彼女を見初めたコブラのバイクが追う。

「何の用?」
「アイ、ラブ、ユー」
いきなりのナンパ。

この一連のやりとりが、何の通信機器も介さず
クチパクさえ無い状態で交わされる。
実は地球人ではないワケあり美女のジェーンはともかく、コブラがテレパシーを使える話は聞いたことがない。

なんで会話、できてんの?

漫画だから…と冷めた目で鑑賞してる人は除いて、
この状況をどう受け取ればいいのか、観客は戸惑ってしまう。
何かのテクノロジーなのか?
手抜きなのか?
まじで、テレパシーなのか?

が、

この後に始まるOPが、
この映画の本質を全て物語るのだ!

「スペースアドベンチャー コブラ」は

ファンタジー映画であるっ!


YouTubeで観ることができるから、試しにぜひ!
とても美しくて幻想的で、ジェーン達三姉妹の運命を表現している点で秀逸なOPよ。
松崎しげるの歌が気になる方は映像だけでもいいんだけど、結構歌と合ってるし、
ここで松崎しげるの声に慣れちゃうと、本編にすんなり入りやすいかも。
  ※このOP。残念な点がひとつ。
   大きくなびく髪の作画がヘンで……。
   シーンはすごく綺麗なのに、とても残念。

超ざっくりとストーリー。

ジェーン、ドミニク、キャサリンの三姉妹は絶滅した星ミロスの女王の子孫。ミロス星は推進装置を備えた人工の星であり、それを使って第七銀河を崩壊させようと企む宇宙海賊ギルドに狙われていた。
星の推進装置を動かせるのはミロスの女王だけだからだ。彼女達の運命と悲劇の潮流に巻き込まれ、
流されるようにコブラは決戦の地、ミロスの門でギルドのクリスタルボーイと対峙する。

作画面での映画の出来は、また別ね。
当時は完全手描きでフィルム撮影の時代。
今のアニメに慣れた目で評価するのは気の毒。
もし今観るなら、その分ちゃんと引き算しよう。 


この作品は、原作やシリーズに比べて、
派手なメカニックやSFらしいテクノロジーにあまり重きを置いていない。…と想う。

タートル号は、かなりでかくなって原作とはわざわざデザインを変えてきたのに、単なる「乗り物」としての出番しかない。

レディは、胸でコブラの体温を計ったり、妬いたり心配したりするだけで、アーマロイドの魅力全開なパワフルアクションの見せ場が無い。

クリスタルボーイの武器は、自分の体から引っ張り出したアバラ。それで殴ったり刺したり。
なんのこたない、力技だ。

ミロス星の叡智を集めたコンピューターは、ダルマのようにプリティな立体映像の人物で表現。
ミロスを動かす推進装置のシステムも、観せてはもらえずイメージ処理。
ミロスは神話か童話のように語られ、とても神秘的な存在だ。

コブラ最強の武器、サイコガンも例外じゃない。
義手を外すのじゃなく、左腕が光ったと思ったら、あらま、サイコガンに!
しかも、クリスタルボーイには全く通じない。

じゃあ、全編で何を観せてんのか?とツッコミたくなるけど、これは、ミロス星の女王として生まれた三姉妹の運命の物語。
巻き込まれたコブラは、闘う…と言うよりは、なすすべなくやられっばなしな感じだ。

そして彼は結局、誰も、何も、救えない。

もともとコブラは海賊で、ワルで、誰かを救って回るようなキャラではないだろう。

ところが、ひょまんな事から女の子の運命に関わり、彼女を救うために奔走することになる。
そこにいるのは本来の「クールでドライなワル」
ではない。

カリオストロのルパンとよく似てない?

違うのは、ルパンはクラリスを救えたけど、
コブラは最後のヒロイン キャサリンも、
ミロス星も救えずに終わるのだ。

でも多分、ミロスを第七銀河の崩壊に使われる事だけは阻止できたんだから、ジェーン達には感謝されてるだろうけど。

自爆して消え去ってゆくミロス星を、タートル号の中から見守るコブラ
そこに流れるメインテーマはなかなかに場面を盛り上げてくれる。
曲が終わった時、きっとコブラは、
まるでこの数日が夢の中の出来事だったように感じていたのではないか。

そしてそのメインテーマのタイトルが
「デイドリーム ロマンス」なのだ。

すべては白昼夢……。

観ている者も、ふと、そんな錯覚を共有する。

この映画は、ファンタジーロマンスなのだ。

「なあ、レディ。
 オレ達の旅の終わりは、どんなんかね…」

「『さあ。コブラの旅に終わりなんてあるの?」

「そうか。ねぇよな!」

EDテーマ「ステイ」スタート。
この流れが、たまらなく切ない。
そのうちに、
甘酸っぱい安堵感のようなものが溢れてきて、
胸が一杯になる。

聴き逃してはいけない。

コブラは「オレ」ではなく「オレ達」と言った!

つまりレディとは
「旅の終わりまで一緒」という意味なのだ!

じ〜〜〜ん。

いい映画だったなあ〜と、
細かいことはどうでも良くなって、
あ、もっかい観よ!と思えてくるのよねえ。