映画「DUNE砂の惑星」…プロモーションの解説やあらすじの記事にかなりの違和感。なんか根本的に入るとこから間違ってる気がする。
公開中の「DUNE砂の惑星」。
酷評の記事が多いにもかかわらず、レビューのサイトでは★★★★★の高評価がズラリ。
なんか不思議な現象だ。
私は残念なことに、諸事情により映画を観に行けない。
ほぼ半世紀に近いファン暦の私にはなかなか辛い。
たからネットの考察記事や皆さんのレビューを読んで、少しでもこの新作の姿を掴もうと足掻いてるわけだ。
な〜んか、こう……。
な〜んかみ〜んな間違ってない?
プロモーションとかで紹介されてる広告文も、感想や考察で書かれてることも違和感ありありなのよ。
そもそも、これだ。
未来が見える少年。
そう言われたら、そういう超能力モノかと思うじゃん。
「砂の惑星」って超能力モノだっけ?
超能力って、いきなり降って湧いた超常の力なイメージなんだけど、その点で考えたらポウルの力をやたらと超能力扱いすることに、かなりな抵抗を覚えるのよね。
映画でどう説明されてるかわからないけど、ポウルの能力は突然のものではない。
彼は、何世紀にもわたる精密で厳格な計画によってやっと実現された「必然の存在」なのだ。
あ。
実はこれも違う。
アクシデントにより「1代早く生まれてしまった存在」なのだ!
その計画とは?
なぜアクシデントが起こった?
このアクシデントが宇宙に何をもたらすことになるの?
これが、この物語のキモなのよ!
ポウルの能力がどう…と言うより、そういう能力がもたらされるまでの長い経緯…つまり。
世界の歴史。
勢力関係。
各勢力の異様なまでの特殊性。
こ〜いうところが重要な部分なのだ。
こんな未来の世界なのに、なぜ機械化が進んでないの?
星間宇宙旅行がすげ〜あっさりしてて距離感が皆無。
なんでナイフで戦ってんの?
ヴォイスが無敵の人操術なら、もっと楽に逃げられるんじゃないの?
そんな感想を読んだ。
これらは、ポウルに能力をもたらした「計画」や、それらを取り巻く世界や歴史を踏まえれば、回答できる問題だ。
つまりそこがわかっていないと、物語の中で起こるいろんなことの理由がすべて抜け落ちてしまう。
この物語は、人々の行動、発言、道具に至るまで、めちゃくちゃ長い時間をかけた背景ってものがある。
私が思うに、この作品の映画化が不可能だと言われてる理由はそこなんじゃないかな。
何世紀もかけた世界の絡みを、数時間の映像で表現するなんて無理なんだよ。
原作を知らなくても、まあ大丈夫。ってレビューもあるけど、もし本当にそうなら、ストーリー的に物凄く薄っぺらいものになってるってことじゃない?
少なくともやっぱり、原作の巻末に付いてる用語解説集を読んでおべき…くらいな作りでないと「砂の惑星」にならないと思う。
かといって、予備知識を入れて臨まなきゃわからん映画って、映画としてはど〜なんだろね。
とにかく、
ポウルの予知能力を全面に押し出すようなプロモーションは「砂の惑星」という作品を勘違いさせる。
もしこの映画が、そう書かざるを得ないくらいにそこに固執してるなら、そりゃアカン間違いだと思う。
観てもいないで、言うことじゃないか〜。
実は、デザイン的にもちょっと文句ある。
過去に映画化された2作品にも共通してる大問題。
フレーメンの装束だ。
スティルスーツに砂色の外套。
フードを目深に被り、口元を覆うフェイスフラップ。
見えているのは、白いところが無い青い眼だけ。
少しの皮膚も外気に晒さず、大事なスーツを砂漠で傷つけないよう外套で守っている。
原作で描写されているフレーメンの姿だ。
これが、映像になるとどう?
ノーズプラグこそ付けてるものの、頭部を晒し、スティルスーツもむき出しだっ!
ノーズプラグがやたら目立って、かなり変だってことだけではない。
いや、わかるよ。
外套やフードをすっぽり被ったら、誰が誰だかわかんない。
映画としては成り立たないよね。
でもね。
彼等の成りは、砂漠の過酷さの象徴だ。
皮膚から逃げる僅かな水分も惜しみ、呼気や排泄物から回収した水でようやく生きるという異常な環境。
ここを安易に端折ったら、アラキスの厳しさを実感として理解できない。
映画のように普通に顔を見せ、スーツを晒した姿では、それ、ちゃんと伝わってる?
ブレーメンの極限まで厳しい戒律と、それを守る統率力。
砂漠に挑み、且つ敬うシンプルな生き方に共感し、美しいと思えなければ、
もし続編が作られたとしても、全くつまらないものになってしまうよ。
この装束の問題は、かなり大きな失敗だと思う。
なんとかしてうまく工夫して欲しかったなあ。