勝手気ままに漫画を語ろう!忘れちゃってた古〜いのやら、昨日たまたま観たのやら。

ふと思い出して語りたくなったあの漫画。細かい事忘れてても気にしないで書いちゃってます。のんびり書けるときだけなので、更新は疎らです。気長にお付き合い下さいね。

メイドインアビス……未来を視るとどうなるの?と考えてたら、ワズキャン擁護になっちゃったよ。結構好きです、ワズキャン。

いきなり話を始めるよ。

「未来が視える」って、どういうこと?

視えたらその後どうなるの?

ワズキャンは実際、何を視たのか。どこまで視たのか。ほんとに未来が視えたのか。

その辺をたらだらと考えてみる。

 

……とは言ったものの、

私は「未来」とか「過去」とか、ひいては流行りの「タイムリープ」のような設定か苦手だ。

 

私が子供の頃のSFでは、未来は変えられないものだった。過去に戻って歴史をいじるのは御法度で、過去や未来でその世界の自分と会うと、時空が狂って世界が吹っ飛ぶ!なんて話はザラにあった。

それが今では、過去で何かをいじったら、そこから新しい未来が枝分かれして始まるとか、平行世界だか、マルチバースだか…。

 

未来って、変えられるの?変えられないの?

そういうのを考えてると堂々巡りするし、展開がご都合主義的でしらけてしまうのだ。

 

未来を視た者は大抵それに抗う。

 

砂の惑星」の主人公ポウル。

彼は「砂丘の救世主」の中でこんな風な事を言っている。

 

「全く同じ人生を2度生きる事に退屈するのか怖い」

記憶で書いてるので言葉が違ってたらご容赦。

 

彼は世界の未来だけではなく、自分が死ぬ瞬間までの一生を余すことなく「視た」。

彼にとってこれから先の時間は、ただそれをなぞるだけのものになったという意味だ。

未来に至る道筋をみ〜んな視る。こういう予知は多分特別。

普通はポンと、この先に起こる情景の一部だけを無責任に視せられるもんじゃない?

それがもし、

絶対到達したい素敵なものだったらどうよ。

これはこれで、大変に辛い事態だ。

 

え?なんでかって?

 

例えば今日、素敵な人に出会う!…と視たとする。

そこしか視えてなかったら、

この道、どっちに行けば会えるんだ?

と迷い始め、考えれば考えるほど動けなくなったりしない?

そんな予知を視さえしなけりゃ、何事もなくスタスタ歩いて無事その人に会えるはずなのに。

 

今、自分が選択した道が正しいのか?

 

ここでの「正しい」は、善悪のことじゃない。

自身が視た「未来」に繋がるルートかどうか。

それかわからないってのが一大事なのだ。

悲惨な未来を視て足掻くなら、手当たり次第にもがいてみよう。当たればラッキー。

ところが逆に、手に入れたい未来に続く道はそう多くないだろう。絶対に外せない。

 

これはある意味、よりキツい葛藤ではないか〜。

 

それは未来を視た者の宿命。

その上でなお、迷い無く進める人は、強靭な意志の持ち主だよね。

 

ワズキャンは、どうなのか?

 

ベラフが言う。

「彼の体感している真理を言葉にする方法を彼も我々も持ち合わせていない。だから普段はああなのだ」

 

かれの軽さは未来視ゆえの迷いや恐怖、葛藤を覆い隠すために身に付けた、一種のポーズなのか。

 

「彼ならたとえ黄金郷が存在しなくても見つけ出してしまうだろう」

「やるだけやらなきゃダメなんだ」

 

またまた「砂の惑星」を引き合いに出すけど、

ポウルの計画が成功するかどうかを尋ねられたジェシカがこんな風な返事をする。

 

「計画の成否というものはそれ自体より行動によることが大きい。良くない指揮官は事に当たってぐずぐずと迷い、計画そのものをだめにしてしまう」。

 

少なくともワズキャンには、行動力はある。

加えて「どっちの道を行けばいいのか」を嗅ぎ当てるのに長けているのではないか。

な〜んかこっちの方が良さそう…って風に。

言わばカン。

これだって的中率によっては立派な未来視だ。

問題はこの「良さそう」が「自分にとって」であること。ガンジャのメンバーは皆、自分の事情で集まってきた世の中のあぶれ者らしい。

自己責任でよろしく〜な連中ばかりだ。

隊長とはいえ、個々を庇護する責任はさほど重くはないよね。

実際彼のこの力か無ければ、ガンジャ隊を率いて6層にまで到達するのは無理だったろうし。

 

イルミューイの子供を手に掛けるのも、他人にやらせてるわけじゃない。そしてそれを自らの手で隊員に含ませて回っている。

当然それは無償の介護ではなく、行く行くは自分のためなんだけど、それをもって彼を責められるかどうか。

 

めっちゃワズキャンの肩を持つなあ〜私。

はい、結構好き(笑)。

 

彼がどこまで視えていたのかについては、よくわからない。

ひじょ〜にフツ〜に考えて、

 

「人間の体を村にする」って発想、それがたとえ夢や空想でも、思い付くか?

あ、いや、当然作者のつくし先生の頭の中は別よ!

 

ひとつ目の卵で変形を始めたイルミューイを見て、こりゃこのままいけば「村」になれるぞ〜〜なあんて発想ができるとは、ちょっと思えない。

 

ワズキャンはどこかのタイミングで、

この不可思議で異常な出来事の「結果」を視たのだろうか。

それに向かって「やるだけやった」。

そしたら、

ヒト以上ではなくヒト以外になった。

村から出られない〜〜。

 

この事態は大誤算だったろう。

 

ひとつ。

彼が視たのではないかと私が推測する予知がある。

 

「ここに来れて良かったかい?」

 

この問いは、どういう意図だろう。

 

全てを無くし疲れ切った者しか来ないはずの村に、ある日、喜びと希望に溢れる探窟家がやって来る。

そこからまた、新しい道が始まってゆくのだ……と。

 

その時が来た?

その者が来た?

それを確認する問いなのかな〜と。

 

少なくとも彼は4個目の揺籃を使うところは視ていないだろうし。

リコを新しい村にするなんてのも、予知じゃなくて単なる企みだからね。

そもそも4個目の揺籃なんて、持ってないよね。

村から出られないのに探しに行けないし、探してくれそうな干渉器ちゃんもいなさそう。

探すのもリコにやらせるつもりだったのか?

 

でもさあ。ちょっと見たいよね。

白笛は遺物の真の力を引き出すというじゃん。

リコが揺籃を持ってプル笛を吹いたら、何が起こったろう。

欲望の揺籃は、「願いを叶える卵」なだけではないかも知れないから。

6層の様相を一変させる、凄いことが起こりそう。

 

あと、思うにワズキャンって、

ベラフがめっちゃ嫌いだよねく、きっと。

成れ果て第一号になるように仕向けたことはもちろん、態度がとても冷たい。

ベラフが精神崩壊起こして顔を引きむしってても、「だぁ〜いじょうぶ」のひと言。

ファプタに記憶を渡して消えた時も全く気にしてない。

一番怖いのは、「ファプタの体の一部でもあれば…」とリコに教えたことだ。

しかも「無理だと思うけどね〜」と煽って、絶対にやらせようとする意図満々。

そんなのを持ってったらベラフが壊れてしまう!とヴエコが止めてくれたけど、ワズキャンだってそれを知らいはずはない。

ベラフを壊そうとしたね、ワズキャン。

やっぱ、怖いことスラっとやるヤツだなあ。

 

まあ、なんとなくわかる。

ベラフのように勤勉で高潔な人間が、本能的に合わないんだろう。出会った時から疎ましかったに違いない。

成れ果ててなおそんな感情が残ってるとは、執念深いというか、陰湿というか。

 

それは別にしても、そのファプタの腕。

随分粗末に扱われてるなあ〜。

体を引きちぎってくれたものだよ。もっと大事に有効に使えよ〜〜。

レグ、明らかに持て余してるよね。ホイっと人に渡してるし。

 

ファプタのウデ、どしたそすか。

 

なんて聞かれたらレグ顔面蒼白だね。