勝手気ままに漫画を語ろう!忘れちゃってた古〜いのやら、昨日たまたま観たのやら。

ふと思い出して語りたくなったあの漫画。細かい事忘れてても気にしないで書いちゃってます。のんびり書けるときだけなので、更新は疎らです。気長にお付き合い下さいね。

ジョジョ5部アニメ……リストランテのテーブルは語る。

「眠れる奴隷」の件を先に原作で読んだ方なら、アニメを観て、

あれ?

…と思ったりしなかった?

例の「人間の肉は…」の場面だ。

私、あの場面、大好き。
原作ではわりとあっさりだけど、アニメはカット数を惜しみなく使い、ミスタのくるくる変わる表情が実に丁寧に描かれてて、面白さ倍増!
さらには、
セリフの言い方が最高だ〜っ!

「うしっ!ぶたっ!
とりぃ〜〜〜〜っ!」

ナランチャはあっち行けって言うど、私は一緒に食事をするならああいう陽気な人がいいなあ。
食事&下ネタ、ゲロネタ、平気なタイプよ。
ただし、大声ではマズいよね。

いやいや。

そういう話じゃなかった。

問題にしたいのは、
テーブルでの彼らの席順。

ここでの座り方が、
原作とは違っている!という点だ。

この場面の多分2日後が、
アバッキオのお茶」だよね。

この時の席はミスタを挟んで
アバッキオが(向かって)左側、
フーゴナランチャが右側。

改めて「お肉」の場面の原作を
見てみよう。

ミスタを挟んで(向かって)左側に
フーゴナランチャ
右側にアバッキオだ。

そう、アニメの配置とは逆。
ん?
この言い方は良くないか?

アニメが原作と逆なのよね。

ヴェネツィアでガッツを補給したレストランも確認したけど、
テーブルを囲む時の座り方が、
原作とアニメで違っているのはここだけだった。

つまり、アニメは原作とは違っても、
彼らが座る席を固定するのを
優先してるってことだ。

考えてみれば我々だって食卓での位置は必ず決まってるもんだ。
お父さんの席、
お母さんの席、私の席。
友人と並んで座る時には、どっちが右か左かなんとな〜くだけど必ず決まってて、
そうじゃないとそれこそなんとな〜く気持ち悪いよね。

「自分の居場所」に特別な想いを持ってる彼らなら、
テーブルでの自分の席にだって執着してて当然だろう。

荒木先生がその辺にこだわり無いとか、うっかり?だとか言ってるんじゃないからねっ。
くれぐれも。

あのアニメのポスターを思い出してみて。
メンバー全員がテーブルを囲み、ジョルノだけ立ってる、
ちょっと魚眼気味に描かれたあのポスターだ。

なぜ、
ジョルノは立っているのか?

そう言えば、ジョルノを含めて全メンバーでテーブルにつく場面は、原作にもアニメにも無い。
もしかしたら「お茶」の後にはそんな展開があったかも❔だけど、
そこは想像でしかない。

ジョルノが立っているのは、
一度も一緒に座る場面がなかった
…ってのが関係してる?とは、考え過ぎか?

アニメのスタッフがリストランテのテーブルを、
ブチャラティチームを象徴するもののように位置付けてる?
…と見るのは、どうだろう。

これは面白そうなんで、
リストランテでの場面をもうちょいと掘り下げてみよう。

え?

はあ〜ん。

へへっ。

…って事に気付いた!

それについては、続く…ね。



別の話になるけど、
5部のアニメは、カメラの向きが原作の逆になってるレイアウトが多い気がする。

例えば、
アバッキオの「お茶」を飲み干すジョルノ。
アニメは右向きだけど、
原作は左向きにだった。

どっちがいいかはさておき、
アニメはそれなりの意図と狙いがあって、こういうコンテにしたはず。
この場面でいえは、私が思うには
「勢い」だ。

カップをあおるジョルノに合わせて、背景に効果線が入ってる。
原作にもあるけど、アニメの方が強調されてるように見える。
そしてぐいっ!とやる「勢い」は右から左へ向かう方が人の目にはより効果的らしいのだ。

対して原作は、
カップを持つ手が向こう側になるため顔が隠れない分、ジョルノの表情がよくわかる。
落ち着き払って気品すら感じる。
荒木先生は、この澄まし切った表情を見せようとしたのでは?

ジョジョって、原作とアニメが
互いを補完するように出来てるよね。

ジョジョ3部…「ありのまま、今起こった事を話すぜ!」のウラが可笑しすぎて、久々に笑った件。眼の手術でしばらくブログ脱落してたけど、復活!

Jcomのメガバックに
ジョジョが全シリーズ入ってる。

やった〜〜〜!

…と思ったのは数ヶ月前のこと。
アタフタやってるうちに、5月いっぱいで配信が終わってしまう!

ま…まだ…全然観てないのにっ!

病室のテレビにJ-COMが映るはずもなく、なんとかスマホokになったからジョジョの原作3部を読んで過ごす日々。

やれやれだぜ…。

ジョジョファンの皆さんはすでに8部まで行っちゃってるろうから、今頃3部できゃあきゃあしてる私は

ナンダコイツ…

かもしれないけど、
3部を読んでいて一度はさらっと流したものの、
ふと状況を想像したらそれこそ 

ナンダコイツ〜!

と独り笑ったシーンがこれだ!

「ありのまま、今起こった事を話すぜ」

これはポルナレフの名言のひとつに数えられてるらしいね。
まあ、実生活ではあまり無い言い回しではあるかな。

笑ったのは、ポルナレフにそう言わせた現象(?)…を作り出すためにDIOがやった一連の行動だ。

DIOは、時間を止められるけど、
巻き戻す事はできない。

…よね。

階段を1段登ったはずのポルナレフ
「2段降りていた」という現実を可能にするなら、

必要なことは、これだ!

時間を止めたDIOが階段降りて来てポルナレフを担ぎ上げる。

抱えたまま3段降り、ポルナレフをそこに据え置く。

階段を駆け上がり、もとの位置で
もとの姿勢をとる。

何食わぬ顔で、時間、始動!

……………。

ご、ご苦労さん……。

しかもこれを、
2回連続してやっている!?

私、間違ってないよね。
つまり、そういうことよね。
イタズラをやるために労力を惜しまない人、DIO
止まった時の中にはDIOしか居ないらしい。誰も見ていないところでせっせと働ける見上げた人だ。

想像したら、笑える〜。

ポルナレフがここでもっと何回も繰り返してたら、そのうちDIO
1回くらいはしくじるんじゃ?
もしくは息が上がってハァハァするか、
イヤになってブチ切れるか?

ぜひ、ポルナレフにはもう少し
頑張ってほしかった。









で、今やっとさ

「アルカディアの少年」……探してもあらすじが語られてる記事がヒットしない。もしかして、無い?ならば私が上げて、ネットにこの作品を刻み込んでおくよ。

あべりつこ著。
確か少女フレンドに読切りとして前編後編に分けて載って、その後、リバイバルで少しだけ加筆され、
一挙掲載されていたと思う。
単行本にはなってない…のかな?

読んだのは小学生の頃。

絵柄や画面には少女漫画らしい花が飛んだりキラキラ星が散るような華美さや派手さは無いんだけど、
子供にも疑いもなく納得できる「絵の上手さ」みたいなものがあった。(ナマイキな子供だなあ。)

そうは言うけど、
作中で「美しい」とされてる人物や、
「感動的」なシーンが、
読み手に必ずしもそう伝わってない漫画って、
ほら、
やっぱあるじゃない?

アルカディアの少年」って、
そういうところが全くなくて、描かれているものにストレートに、素直にに入り込めるって感じでね。

だから半世紀近く経ってもまだ思い出せるほど、
小学生の私には衝撃的な作品だった。

さて。

そんなのは置いといて、今回はストーリーだ。

私の手元にもとっくに漫画はないし、どうやらかなり入手困難絶版的な作品ぽいよね。

素敵な漫画だった記憶はあるけど、詳細は思い出せない……。
そんな方が多そうなのだ。
そのモヤモヤに少しでも…と、アタマの隅っこまでほじくり返してみた!

ケッコー覚えてんじゃん、私っ!

この名作を記録に残すためにも(いやいやオーバー)
ここはひとつ、私が書いとくわ〜!

ちょっと、気合入れて、あらすじ、行きます。



アルカディアの丘に華やかな笑い声が響いてくる。
周りの空気を支配するかのような自信に輝く少女。

「おお、ネーリアよ」

さっそく風のニュムペ(妖精)達が噂話を始める。

「私達妖精よりも美しいとは、なんて娘!」
「それに比べてニーケは」

ネーリアの後ろには母親に手を引かれた少女。

「ネーリアの姉妹には、ちょっと見えない」

地味でおとなしいニーケは、心無いニュムペの噂話にいつも傷付いていた。

「ネーリアはかわいいけど、私はかわいくないって。しょっちゅうニュムペ達が噂してるもん」

そんなニーケを慰めようと、父は小さな弓を作ってくれる。

「森へ行ってそれでお遊び」

森でひとり遊びをしているうちに、弓の弦を切ってしまうニーケ。
どうしよう…としょげていると少年が声をかける。彼は手際よく弓を直すと「またね」と駆けて行った。その先には彼の名を呼ぶ老人と羊の群れ。
どうやら彼は祖父と羊飼いをしているようだった。

その夜、ニーケの家では母が羊飼いを見た…と話をしていた。
「ちょっとかわいい男の子だったけど、あの程度じゃあね」
髪を整えながらネーリアが言う。
自分が関心を寄せてやるほどの子でもないわ〜だろうか。美しくて取り巻きも多いネーリアは、高慢で
自尊心も高いようだ。
ネーリアはそう言うが、ニーケはあの少年の「またね」を思い返して、ひとり顔をほころばせる。

森で再び会った二人は、すぐに仲良くなった。

「きみ、名前は?」
「ニーケ…」
「ふうん、ぼくはね」
「エンデュミオーン。羊飼い」
「あれっ?」

ニーケは初めて会った時に、老人が彼をそう呼んだのを聞いていた。そして憶えていたのだ。

恥ずかしそうに俯くニーケと嬉しそうなエンデュミオーン。
それ以降、ふたりはいつも森で一緒に遊ぶようになった。

エンデュはニーケに弓の使い方を教えてくれる。
エンデュが引くとニーケの小さな弓は驚くほどの威力を見せるのだった。

ある夜ふとニーケがエンデュの元を訪れると、彼は酷く打ちひしがれ、悲しみに沈んでいた。
祖父が、亡くなったのだ。
ひとりぼっちになったと悲しむエンデュにニーケは

おじいさんの代わりに、私がそばにいる。

と励ます。
いや、
それは励ましではなく、誓い。

「あなたのために、綺麗になるね」
そしてふたりはお互いをかけがえのないものとして、手を取り合う。



数年が経ち…。

アルカディアの丘。
自分の名を呼ぶ声に振り向くエンデュミオーン。
丘を駆けて来るのはニーケ。

ふたりは恋人同士になっていたが、美しい青年に成長したエンデュに比べて自分が見劣りすることに
ニーケの心は陰りがちだった。

エンデュと姉のネーリアが連れ立って歩くのを見、
その想いが噴き出す。

「美しかったわ。似合ってた。
綺麗になれなかったこんな私よりネーリアの方が!」
「何が言いたいっ!?」

声を荒らげるエンデュだが、ニーケの思いは承知。
抱き合う二人を悔しげに見るネーリア。
子供の頃は「あの程度じゃね」と相手にしなかったのに、美しい青年になった今は自分になびかせたいらしかった。

そんなアルカディアの野の夜に、ある異変が起こっていた。
空を渡る月の軌道が、このところとても低いのだ。

「(アルテミス様が)お気に入りの男でも見つけて
夜な夜な眺めていらっしゃるんじゃあ?」

村の大人はのんきに笑い合う。

まさか…!と胸が騒ぐ。そして今夜は満月だ。

「おお…今夜は、特に低い…」

そしてエンデュの元に駆けつけたニーケは
彼を連れ去ろうと地に降りてきた女神アルテミスを
見るのだった。


前編、終了。

〔古い漫画の話をするブログ〕は、またもや脱線して「約束のネバーランド」だ!……私が想像していた脱獄後の展開と、残念な点について。

J-COMのメガパックに
約束のネバーランド」が入った!

改めて観ると

怖いわ〜〜〜。

ここまで怖いアニメだったんだ。

ラストまで一気に観て、やっぱ思ったんだけど、
あのラストシーンを観る限りでは、
鬼と全面対決するような展開には、なかなか結びつかないなあ。

脱獄後の展開が、予想と全く違う方向に行った?

でも、そんなのは、こっちの勝手な想像。
その通りになるわけないし、ならないからこそ読む
楽しみがあるんだけどね。



私が予想(期待)した脱獄後の展開は、こんな感じ。

PENを手がかりにして、ミネルヴァさんや他の支援者を探す。
その中で、
自分達子供がどうやって供給されているか、
農園がどうやって運営されているのか、
携わっている人間とはどういう者達なのか…。
つまり、農園システムの詳細を知る。
そしてそれを利用して、
フィル達を助けに、GFに戻ってくるのだ!
そして他のプラントの仲間をも脱出させる。

言うなれば、脱獄劇第二弾だ!

そこで、世界の仕組みを知り、
ママやノーマンが生きている可能性をつかみ、
また新たな戦いに立ち向かう決意をする。

当たり前すぎて、甘い?

彼らが外に出てまずやるのは、支援が得られる人間を探すこと。
その支援のもとに、フィル達を助けに戻ることじゃなかったっけ?
実際は、
その過程で世界の仕組みを知り、
農園を開放するだけでは何も変わらない、解決しないことを知る。
だから、世界を変えなきゃ!って展開になったってことかな。

それは、わかるよ。

しかもうまい具合に、一挙解決の手段、
「7つの壁」の向こうに居るという、鬼のトップ。
そんな情報ゲットしちゃったからね。

それも、いいよ。
そんな手段も用意しとかないと、物語の結末が
組み立てにくいだろうから。

でも、ちょっと、設定が

あまりにアレになりつつある気がする。

事の発端は、ゴールディポンド。
あの「金色の水」。
宙に浮いた小島。
明らかに異空間と繋がっているエレベーター。

人智を超えた、不思議アイテムの登場だ!

それまでの「約束のネバーランド」には、
「鬼」の正体とかは別として、
脱出に使う道具や鍵となる本の謎解き、発信機や
ママを出し抜く方法まで「非現実的なもの」は
出てこないし、使われていない。
だからこそ、リアルで緊迫感のある駆け引きに
引き込まれたのだ。

それが、「金色の水」以降、やたらと出てくるのは
摩訶不思議なナゾナゾと、超常の存在。
例えば、つい最近明らかになった「7つの壁」。

あれ、どうかなあ〜。

扉の出現からして、ハリーポッター過ぎるっしょ。
「物理世界の限界」「時空を超える」とかなんて、私的にはとても残念な話。

わけがわからないものでは、
謎の答えにはならないよぉ〜〜。

つい最近、同じような思いをした。
「進撃…」だ。
巨人の力の由来は、
あのなんかよくわからない虫みたいなの?
そもそも、あれ、なに?
皆はあれで、巨人の力がどこから来たかを説明されたと納得できてるの?

いやいやいや。

謎の答えが謎では、答えになってない〜(泣)

いままで理詰めでコツコツ考察を積み上げてきた読者は、ちゃぶ台ごとひっくり返されたみたいな。

そういう話は、基本的にはキライじゃないよ。
初めからそうなら…ね。
でも「「約束のネバーランド」は、そんな感じて始まってないから、なかなか頭の切り替えができずに
置いてきぼりになってしまった気がするのよね。


そうだ。
物語の始まりから、
この作品に期待していたものが、もうひとつある。
 
農園で食料となる家畜を飼育して出荷するのは、
現実の私達の世の中で、当たり前に行われている。

美味しいお肉にするために環境を整え、
いいエサを与え、
時には放し飼いでの運動。
厩舎に音楽流したりもするらしいじゃん。
特別な個体を交配したり、
なんやかんやしての品種改良だ。
いいフォアグラを得るためにえげつない飼育もしてるって、非難されてる話もあるよね。

どこの産地のお肉が美味いとか、
どの部位が好きだとか言いながら、

生きたまま、まな板に乗せ、
熱湯に放り込み、
ナマがいい、さっと炙るだけ、はたまた、まだ動いているものを、賑やかに談笑しながら食すのだ。

やってることは、鬼と同じじゃん。

私達はもとより、
「約束」によってその権利を得た鬼達に、
罪悪感や非道の意識は無いよね。

単に立場を入れ替えたらこうなるだけのこと。

約束のネバーランド」を読み始めた時に、
多分、ほとんどの人がお肉やお魚を前にして
ちょっと神妙な面持ちになったのでは?

そんな問題に、

作者はどんな「解」を用意してるんだろう。

邪血をもって、すべての鬼をヒトを食べる必要がないようにする?

いや、そんな事では解決にならないだろ。

私達は豚や牛や鶏や、そのいずれかを食べなくても
全く問題なく生きていけるにもかかわらず、
「食べたいから」だけで食べてるもんね。

そしてソンジュも食べなくてもいい体なのに、
やはり「食いたい」と言っているし。

必要なくても、食べたいものは食べちゃうだろ。
 
他の種を食べるという事には、本来、
是も非も、善も悪もない。
生存を前にしたら、全ての種は対等だ。


この物語がこの問題を、どう決着つけるのか。
作者が用意しているだろう、ひとつの答えに
とても期待と関心がある。

そこをどうか、
超常の不思議アイテムで
ぶわ〜〜〜〜っと解決!

みたいな終わり方は、ナシにしてほしいんだけど、

どうだろう。

スペースアドベンチャー コブラ……劇場版「コブラ」。TVシリーズに比べて評価が低いって話だけど、これはそもそも比べちゃいけないと思うよ。私は大好き。脳内で再上映できそうなほど、入れ込んでしまった映画なのよ。

●おじさんである。(少なくとも青年でも、ましてや少年でもない…と言う意味で)

●体にパツパツのタイツ姿。しかも真っ赤。

●だんご鼻。

これらの要素を持つアニメや漫画は、私のテリトリー外。
主人公の年齢は10代後半で、鼻は小さめ。服のシワが美しくカッコいい絵が大好きだからだ。

なのに私は、
劇場版「コブラ」に、ドはまりした。

時効だろうから言ってしまおう。

もう一度観たくて、いても立ってもいられなくなり
オールナイトに出掛けた。

当時の仕事の夜勤をズル休みして!

朝まで居続けて、「もう一度」どころか、疲れるまで観続けたのだ。
シネコンの今では出来ない贅沢!

おかげで30年以上経った今でも記憶は鮮明。
多少の抜けはあるけど、脳内でセリフごと丸々リプレイできるほどだ。

コブラには、もちろん原作の漫画。
TVシリーズの「スペースコブラ」。
劇場版の「スペースアドベンチャー コブラ」がある。
シリーズは、時間枠的にあまり観られなかったけど
原作に近い内容だったのか…な?
劇場版は原作を下地にしてるけど、大幅に設定変更したオリジナル作品だ。
その辺りの違和感を押さえられないのか、声優のキャスティングが不評なのか、
コブラのファンの間では、
「劇場版のコブラコブラじゃない」
と、言われているらしい。
コブラの声が「松崎しげる」なのを別にしてもだ。

こごでちょっと思い当たるんだけど、
ルパン三世の最初からのファンの中には、
カリオストロのルパンはルパンじゃない!…って
言う方がいるそうな?
それが具体的にどういう違いなのか、私にはな〜んとなくしかわからないのでさておくとして、
だからって、そんな方々だって多分、

カリオストロの城」が映画としてつまらない!
なんてコトは言わないと思う。

「スペースアドベンチャー コブラ」だって、そういうコトなんじゃないか。

この映画は面白いよ。
でも、
シリーズと比較する人にはそうではないかも。

根本的に「違う」のよ。比べる事が間違い。

映画は、
ロバだか馬だか(きっと異星の動物)に乗った人物、賞金首の犯罪者「宣教師ダコバ」が高々と説教を
唱えながら荒野を歩く姿から始まる。
「神は神としてのたまわれり。
この世に神は無いっ!」と、振り上げた杖の上空を
巨大な船が飛び去ってゆく。
そこへ、ザッ!
第一ヒロイン、賞金稼ぎのジェーン、登場だ!

難なく首を獲り護送するジェーン。そのエアカーを、酒場で彼女を見初めたコブラのバイクが追う。

「何の用?」
「アイ、ラブ、ユー」
いきなりのナンパ。

この一連のやりとりが、何の通信機器も介さず
クチパクさえ無い状態で交わされる。
実は地球人ではないワケあり美女のジェーンはともかく、コブラがテレパシーを使える話は聞いたことがない。

なんで会話、できてんの?

漫画だから…と冷めた目で鑑賞してる人は除いて、
この状況をどう受け取ればいいのか、観客は戸惑ってしまう。
何かのテクノロジーなのか?
手抜きなのか?
まじで、テレパシーなのか?

が、

この後に始まるOPが、
この映画の本質を全て物語るのだ!

「スペースアドベンチャー コブラ」は

ファンタジー映画であるっ!


YouTubeで観ることができるから、試しにぜひ!
とても美しくて幻想的で、ジェーン達三姉妹の運命を表現している点で秀逸なOPよ。
松崎しげるの歌が気になる方は映像だけでもいいんだけど、結構歌と合ってるし、
ここで松崎しげるの声に慣れちゃうと、本編にすんなり入りやすいかも。
  ※このOP。残念な点がひとつ。
   大きくなびく髪の作画がヘンで……。
   シーンはすごく綺麗なのに、とても残念。

超ざっくりとストーリー。

ジェーン、ドミニク、キャサリンの三姉妹は絶滅した星ミロスの女王の子孫。ミロス星は推進装置を備えた人工の星であり、それを使って第七銀河を崩壊させようと企む宇宙海賊ギルドに狙われていた。
星の推進装置を動かせるのはミロスの女王だけだからだ。彼女達の運命と悲劇の潮流に巻き込まれ、
流されるようにコブラは決戦の地、ミロスの門でギルドのクリスタルボーイと対峙する。

作画面での映画の出来は、また別ね。
当時は完全手描きでフィルム撮影の時代。
今のアニメに慣れた目で評価するのは気の毒。
もし今観るなら、その分ちゃんと引き算しよう。 


この作品は、原作やシリーズに比べて、
派手なメカニックやSFらしいテクノロジーにあまり重きを置いていない。…と想う。

タートル号は、かなりでかくなって原作とはわざわざデザインを変えてきたのに、単なる「乗り物」としての出番しかない。

レディは、胸でコブラの体温を計ったり、妬いたり心配したりするだけで、アーマロイドの魅力全開なパワフルアクションの見せ場が無い。

クリスタルボーイの武器は、自分の体から引っ張り出したアバラ。それで殴ったり刺したり。
なんのこたない、力技だ。

ミロス星の叡智を集めたコンピューターは、ダルマのようにプリティな立体映像の人物で表現。
ミロスを動かす推進装置のシステムも、観せてはもらえずイメージ処理。
ミロスは神話か童話のように語られ、とても神秘的な存在だ。

コブラ最強の武器、サイコガンも例外じゃない。
義手を外すのじゃなく、左腕が光ったと思ったら、あらま、サイコガンに!
しかも、クリスタルボーイには全く通じない。

じゃあ、全編で何を観せてんのか?とツッコミたくなるけど、これは、ミロス星の女王として生まれた三姉妹の運命の物語。
巻き込まれたコブラは、闘う…と言うよりは、なすすべなくやられっばなしな感じだ。

そして彼は結局、誰も、何も、救えない。

もともとコブラは海賊で、ワルで、誰かを救って回るようなキャラではないだろう。

ところが、ひょまんな事から女の子の運命に関わり、彼女を救うために奔走することになる。
そこにいるのは本来の「クールでドライなワル」
ではない。

カリオストロのルパンとよく似てない?

違うのは、ルパンはクラリスを救えたけど、
コブラは最後のヒロイン キャサリンも、
ミロス星も救えずに終わるのだ。

でも多分、ミロスを第七銀河の崩壊に使われる事だけは阻止できたんだから、ジェーン達には感謝されてるだろうけど。

自爆して消え去ってゆくミロス星を、タートル号の中から見守るコブラ
そこに流れるメインテーマはなかなかに場面を盛り上げてくれる。
曲が終わった時、きっとコブラは、
まるでこの数日が夢の中の出来事だったように感じていたのではないか。

そしてそのメインテーマのタイトルが
「デイドリーム ロマンス」なのだ。

すべては白昼夢……。

観ている者も、ふと、そんな錯覚を共有する。

この映画は、ファンタジーロマンスなのだ。

「なあ、レディ。
 オレ達の旅の終わりは、どんなんかね…」

「『さあ。コブラの旅に終わりなんてあるの?」

「そうか。ねぇよな!」

EDテーマ「ステイ」スタート。
この流れが、たまらなく切ない。
そのうちに、
甘酸っぱい安堵感のようなものが溢れてきて、
胸が一杯になる。

聴き逃してはいけない。

コブラは「オレ」ではなく「オレ達」と言った!

つまりレディとは
「旅の終わりまで一緒」という意味なのだ!

じ〜〜〜ん。

いい映画だったなあ〜と、
細かいことはどうでも良くなって、
あ、もっかい観よ!と思えてくるのよねえ。


 

【海皇紀……未回収の謎がいっぱいだ〜!】の追記!ファンの父親が前海王だった事に拍子抜けし過ぎた件。

上記の記事にS様より非公開ご希望のコメントをいただき、その通りだ〜〜!と更なる「謎」のひとつに思い当たった。

S様、ありがとうございます。

この「更なる謎」は「未回収」とは言い難いかな。
マリシーユが実にあっさりと回答しているからだ。

ファンの父親は、前海王のレグルスか?

「そうよ」

あまりに直球な返事にソルは拍子抜けしてたようだけど、そりゃ、私も同じだわ。
本人がそう言うんだから、それで解決な話なんだけど。
でもなんかモヤモヤする。

●海王レグルスの死の謎。
 さらにはレグルスとはどんな人物だったのか。

本当に遭難なのか、フェルカド達の謀略なのか、
はっきりしないままだよね。
どんな人物かも描写されず、とりあえず名前だけ登場。
王なのに、随分な扱いた。
これだけ見たら申し訳ないけど、ちょっとマヌケな人なのか?と思う。
これと言って秀でた能力も功績もなく、
王としては凡庸な人物だったのかという印象だ。

だけど、ちょっと待ってね。

そういう人物だったらマリシーユが「選ぶ」か?

マリシーユがどうして、
どうやって海都に来たのかは語られていない。
でも彼女はこの時点で計画をしていたのだ。
おそらく、クラッサ・ライを追い詰めたとしても、
対決となったら女の身である自分では勝てない。
ヤツを倒すには男子。
つまり自分には子供が、男の子が必要なのだ…と。

彼女が海都に来た目的が「父親探し」だとは思わないけど、結果としてそうなった。
そして、父親は誰でも良かったはずはない。
彼女の技とニホントウを受け継げるだけの資質と器を兼ね備えた子供……を与えてくれる相手でなければならないからだ。

その点において、
レグルスはマリシーユの見立てに合格した。
なんの取り柄もないおっさんではなかったろう。

私の想像だけど、
マリシーユはレグルスに、その辺りの目的をはっきり言ったのではないかと思う。

「ちょっと事情があって、男の子が欲しいのよね」

レグルスはそんなマリシーユを面白いと思ったろう。
かなりの度量の持ち主だった気が、益々してくる。

それを踏まえると、
「そうよ」の、あっけらかんとした答えも頷ける。

そこには「愛情」のように粘度の高い感情より、
からっとした「友情」みたいなものを感じるから。
彼は決して、マリシーユにのぼせた挙句、八番艦を与えた訳じゃない!

……と思う反面、引っかかる点もある。

マリシーユにしてもファンにしても、
レグルスの死に憤慨している様子が無いのは、あまりにも故人が可哀想だし、不自然てはないか?

ふと、よぎる疑念。

後付け…か?

あ〜でも、それもちょっと考え難いかな。

もしレグルス父親が後付け説なら、当初の予定は誰だったんだ?
まさか誰とも設定してなかったとか、姿も名前も出ない完全モブとか?

例えば海都に来た時に、既に身籠ってたとしたら?

実は私には、
当時ちょいと予想していた筋があるのだ。

オンブルワ・ゼ・フォレストの存在だ!

登場時から
卓抜した操船技術を持つと破格に喧伝され、
色の濃い肌と銀髪とえらく大仰な長い名前は、
なかなかに気合の入ったキャラ設定じゃないか?
出自にもワケアリっぼいし、何よりファンが目にかけてる感、半端ない。

「いい船乗りが好きだ」

それだけ?

私が何を期待(予想)したかというと、

ファンとフォレスト、腹違い兄弟説!

そしてファンはその存在の可能性をマリシーユから聞かされていて、出会った時すぐに彼だとわかったのだ!
雰囲気で決めるとファンの方が若干でも年長かな。
そんな風に想像して見たら、ファンの兄貴っぷりに
なるほど〜と、ニヤニヤしてしまう。

いや、これ、
当然のこと、撃沈説だったんだけどね。
腹違いはいたけど、全然違う筋だったもんね。

たが、しかぁしっ!
私はちょいと食い下がってしまう。

川原先生は途中まで、
ファンの父親を誰にするか決めてなかった……!

すいません!
批判の意図は全く無いので、別の言い方を!

父親が誰であるか、幾つかの展開を用意して話を進めていたのではないか?

海王の継承候補になるのに血縁は関係ない。

これ、どっちにも転べる下地とも取れるし。

どう進めるのが一番面白いか、物語の雰囲気と読者の手応えを客観的に見つつ、
後半、戦闘に重きを置くためにも他の部分を複雑にするのはあえて避け、
一番もっともらしい説、採用。

勝手に考えすぎかな〜。

でもひょっとしたら、危なかったかも。
結局最後まではっきりさせないまま終わることだって、出来た。有り得たと思うからだ。

さてね。
…と、舌を出すマリシーユが現れそうだわ。

ところで、「ファン」って「煌」だよね。

言わずにいられないっ!ジョジョ6部「ストーンオーシャン」を読み終えて…おい、ちょっと待って。それってもしかして?よく考えたらトンデモなくて、そりゃ無いよ〜と言いたいっ!

単なる愚痴です。
アタマの整理をつけるために。
すぐ終わるから(笑)。

いや、愚痴…とはちょっと違うかなあ。

ジョジョ6部「ストーンオーシャン」。

人づてに聞いた限りでは、ジョジョの中でもあまり人気がない…とか?
そうなの?
私にはとても面白かったよ。

うん。作品は、とても面白かった!
徐倫、綺麗だし、かっこいい!
ただ、ちょっと言うなら、
スタンド能力のスケールがぶっ飛び過ぎてて、
人間技じゃなくなった感、半端ない。

元々人間技じゃないんだけどね。

NARUTO読んでても思ったんだけど、技があまりに
凄くなりすぎて、かえって戦闘の面白味が削がれてくんじゃないか?って心配になった。

でも、今回言いたいのはそういうことじゃない。

問題は6部のラストなのだ!

世界どころか、宇宙が終わったよね、アレ。

6部って、舞台が2011年だってね。
5部は2001年だったよね。
つまり、ストーンオーシャンは、黄金の風の10年後なわけだ。

10年!

イタリアのジョルノは25〜6才よ。
ボスになって10年。それなりの苦労や抗争を経て
組織を強固に掌握できたころじゃないか?
いずれにしても、目指すところにはまだ道半ば。
やりたいことも、やるべきことも、
さあ、これから!って時にだ…よ。

それをすべて、ご破算、無に期する、降って湧いた
世界の終末じゃんか〜!

イタリアで彼らはどうなった?
ジョルノは?ミスタは?
あんなに犠牲を払って手にした組織は?
5部のストーリーは?
抗った運命は?

こりゃ、ないわあ〜。

実際、唖然としたってのが、本音。
こういうはっきり繋がってるシリーズって、
今進行してる舞台の話を読みながらも、前作のキャラの存在を感じたい&探してしまうもんじゃない?


それとも、新たな世界で、新たな彼らが…

徐倫がアイリンになったように (「ジョ」ではなくなった)
ジョルノではなく、●●ルノになった誰かが、
ギャングなんてカンケーない世界で楽しくやってるとか?

そこには4をラッキーナンバーにする誰かがいたりするってか?

いやいやいやいや〜、ちょっと待って!

5部信者にはあまりに衝撃的過ぎます、
荒木センセイ〜!!


PS。
今、まさに、黄金のイタリアツアーが開催中。
私はツイッターで追いかける身。
現地の皆さま、楽しんで来て下さいね〜。
ワクワクのツイートやたくさんの写真、
ありがとうございます。

PS 2。
黄金のイタリアツアー、無事に終了のようですね。
行ったわけでもないのに、なんか凄いロス感…。
現実に戻れるのか心配だわ。
参加された皆さま、お疲れさまでした〜。
皆さんの写真見ながら、原作を読み返そうかなあ。
ジョジョアプリのコインも2000点貯まってることだし。